『海老川』
太宰治ゆかりの玉川旅館無き今、はるばる遠くから船橋に来たならば、船橋市場から降りてきたばかりの魚を大衆酒場で食べ、太宰を思ひながら、海老川沿いを歩き、宮本一丁目を抜ける。そして、緑に包まれる意富比神社(船橋大神宮)で参拝した後は、『船橋浜町商店街』を完璧に素通りして、ららぽーとへと抜けて行く。それが今ある船橋の楽しみ方というものでしょう。私達は、どんなに景色は変わってしまっても、船橋の良い記憶を次の世代へと繋いでいこうという思いで『治』という店名をつけました。そんな船橋の良い思いを、そんな船橋らしさを感じてもらえる世界を、私達は『船橋浜町商店街』で作り、繋いでいきます。
-船橋浜町商店街 BODY CARE OSAMU-
2020年8月20日
『余裕』
この度、いただいた花束を皆様にお裾分けしようと思い、店先に『ご自由にお持ち帰りください』の文字を添えてメニューのハガキと一緒に置いていました。しかし見事にハガキだけがなくなる結果に。何が言いたいのかと言うと、まだ間に合います『うちの嫁に一輪の花を』『帰ってきた旦那を迎える一輪の花を』とパートナーの為に一輪持って帰ってください。そしてそういった小っ恥ずかしい気遣いを出来なかったあなたは、必ず治のケアーを受けに来てください。体と心の余裕こそが花を一段と綺麗に見せるものです。
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2020年11月9日
『繋ぎ方』
僕は、被害者のふりをするのは上手な小説家。それでいて泣いて世間に問うのさ。『どっちが悪党だい』ってね。それを聞いた君だけに『実は僕は加害者なんだ』と言うと皆んな『君は悪くない』と僕にささやく。『私だけが、あなたを理解し支えられる』と皆んな思うんだ。そんな君に寄りかかると小説家達は僕の全てを否定するだろう。でもそれが肥やしとなって被害者のふりをする僕をまた生み出すんだ。そうやって自分でも止められない欲と憎しみで作られた筆が僕の小説を生み出すのだ。
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2020年8月25日
『整体屋』
右を見ても整体屋、左を見ても整体屋、一歩歩けば整体屋。日本中に整体屋なんて腐る程ある。なんて言い方が悪いんだろうか。来週も来てもらう為に揉んでいる。『来週はいつになさいますん』じゃ無い。治してくれへんかったんかい。治し方を教えてくれんへんのかい。藁にもすがる思いで整体屋に来てる人にはそんな事はもうでけへん。もうそんな足元見る様な付き合い私にゃでけへん。『治らんのなら病院いいけや』なんて整体師同士で裏で話しているのは聞きたかない。病院行ったら同じモミモミされてレントゲン取られて『メス入れまへんか』って直ぐに言われまんねん。私が何年もいくつもの企業に雇われながらやってきた事は『人間失格』や。
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2020年8月23日
『船の橋を渡る』
太宰は、こんな思ひだったのだろうか。宮本一丁目の自宅を出て船橋駅へと歩くと本町の大衆酒場の店主や、仲間達がいつも声をかけてくる。『治ちゃん女は程々にねぇ』『うるせぇ僕の勝手だ』こんなやり取りばかりだった。だから僕は、女を連れる時は、少し離れた浜町一丁目の漁師町まで逃げる様にしている。『船橋浜町商店街』だ。こんなミルフィーユのように何重にもフワリと浮ついていた事なんて、『グッドバイ』と言って死ぬ時くらいにしか小説に書けないが、私はこうやって不安定に人間を渡り歩き、小説のネタにしては借金を返していた。そう船の橋を渡るように。そんな筆者の私は、多忙であった船橋を離れ、今でも田舎で心の借金を返しているところです。
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2020年8月22日